quantum-immortal:

oh-yes-it-was-worth-it:

Wtf

they have the ability to change their skin coloration and texture on command

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つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。

 「祇園精舎の鐘の声」も、良く読むと、この倍音のことを言っているんですよ。僕は延暦寺の鐘を叩かせてもらったことがあるんですけど、叩いた瞬間はすごく上の倍音まで鳴っているんだけれども、だんだん倍音が減っていって、最後には1つか2つくらいの音が残って、消えていく。その時間の変化によって倍音が減ってゆくことを描いているんですよ。そんなことを千年も昔の日本人に、気付いていた人間がいたんだなと思ってね。平清盛の生き様のように、だんだん倍音が減っていって、最後にはわずかなものしか残らない。
弟が「光の三原色があるなら闇の三原色もありそうだよね?」って言ってて笑い止まらない